UH-1N
UH-1
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1976年の横田基地オープンには、当時なんの知識も無く、何が展示されるかも全く情報がないまま出かけて行った。雑誌で見ていた米軍の航空ショーは、戦闘機の展示がたくさんあったように感じられたので、それなりの期待を胸に出向いたのであった。その頃は、同じ趣味をもつ友人もいなかった為、後に厚木で多くの友人ができるまでは航空雑誌だけが唯一の情報源だったのである。横田の航空ショーで唯一フライトしてくれたのが このUH-1P、迷彩塗装から当初は、陸軍からの参加と勘違いしていたが 胴体にはしっかりと空軍と書かれていた。ベトナム迷彩に惹かれ、この手の迷彩をされたヘリは私の大好物となっていた。
厚木上空に飛来したUH-1P(機番 57927)、現在のN型以降の機体に比べ 胴体部分が短く見え ずいぶん印象が違う。
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↑1993年厚木の航空祭に展示されたUH-1N、ロービジビリティの波はこの航空機も例外とはならなかった。

このヘリは、第475基地管理司令部 改名後第475航空団(475th AW、現在のABW)の所属で 基地の連絡業務、旅客輸送などに使われていたようだ。迷彩機のUH-1Pは、1976年〜1977年の間 私は3機しか確認できなかったが 一体何機いたのだろう。1980年の1月にUH-1Nに更新されるまではP型を使い続けた。
The Orient Express
Yokota Flightors
1980年1月以降、横田基地にもN型が導入された。それまでのP型に比べ、エンジンがツインとなって200%パワーアップし、機首も洗練化したスマートな形である。海兵隊が洋上で使う上で信頼性が高いとして採用していたもので、空軍も追随した形である。この時点から横田のイロコイスは、迷彩塗装が無くなりエアフォースグレーに変わった。米空軍はこの時点で76機のUH-1Nを発注していた。

↑ 1990年9月の横田基地航空祭で展示飛行するUH-1N/

↑ 1980年3月ネリス空軍基地で撮影したUH-1N(69-6605)。所属は不明である。

空軍が、最初にUH-1イロコイスに目を付けたのは、多用途と救難用としてであり 多くのUH-1Fと30機のHH-1Hを採用した。その後 空軍の多種にわたる用途に使えるよう F型からP型に一部変更 P型が最初に配備されたのは、ハーバートフィールド空軍基地と言われ1st SOSに所属したそうだ。ここ横田のUH-1Pも機体によって 機首上部のアンテナの数や大きさが異なっており 装備に違いがあることが分かる。
UH-1P
型は、陸自が採用したHU-1B(米軍UH-1B)と同じ 胴体横大きな窓が1つのタイプ、何故 UH-1P型と呼ばれるのか判らないが 一部資料ではベル204Bをベースとして空軍向けに生産されたUH-1F 146機の内 武装攻撃に対応してP型に20機改修されたとある。